60件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

那覇市議会 2019-12-05 令和 01年(2019年)11月定例会-12月05日-03号

(6)米軍占領下国際法に反して、強制接収して建設された米軍基地那覇軍港は、無条件返還すべきです。移設先を確保しない限り返還しないとの日米政府の姿勢は、盗人たけだけしい、言語道断としか言いようがありません。  そこで、遊休状態にある那覇軍港は、移設問題とは別に早期返還させ、地権者などの合意を得て、一刻も早くアジアに向けた臨空型物流拠点整備や新しいまちづくりなど、跡地利用を促進すべきです。

那覇市議会 2019-06-20 令和 01年(2019年) 6月定例会−06月20日-07号

そこに通う理由として、沖縄戦地上戦の映像が流れ、米軍占領下の中、家庭を助けるために畑仕事や家畜の世話などで時間に遅れて学校に行くため、全部の授業を受け切れなかったと。中学校に上がってもアルバイトを始め、遅刻や早退の繰り返しで授業にどんどんついていけなくなったとおっしゃっていました。  こういった方々の学ぶ姿を見て大変痛感し、また取り組みを行っている方々に頭が下がる思いであります。  

沖縄市議会 2018-12-20 12月20日-07号

米軍占領下時代沖縄自治神話だと言い放った高等弁務官がおりました。しかし、私たち先輩たちは決して諦めず、自治権獲得のために歩み続けてきました。その歴史は、自治は決して神話ではない。みずから立ち上がり、勝ち取っていくものだということを私たちに教えてくれていると思います。今回の県民投票沖縄自己決定権地方自治を体現していくものだと確信を強くするものであります。 

那覇市議会 2018-12-12 平成 30年(2018年)12月定例会-12月12日-05号

那覇市には、このような戦後の米軍占領下歴史があるだけに、私はガジャンビラ公園周辺丘陵地帯歴史的地形観光資源としての丘陵地帯を将来の子や孫の世代に残すためにも私有地を買い取り、公園を拡張整備することを強く求めたいと思います。  それでは、次に4.那覇空港南側船揚場整備事業について質問を行います。  これまでの取り組みと、今後のスケジュールについて説明を求めます。

那覇市議会 2018-12-07 平成 30年(2018年)12月定例会-12月07日-02号

米軍占領下で、国際法に違反して県民土地を強奪して建設した在沖米軍基地は、代替地を提供するのではなく無条件での返還を求めるべきであります。  それでは、消防力整備について再質問を行います。  答弁で明らかとなったように、自治体の消防業務に対する責務は極めて重いものがあります。その責務を果たすためにも、消防力整備を進めることが求められています。  

与那原町議会 2017-03-24 03月24日-04号

終戦後、1952年のサンフランシスコ講和条約発効沖縄日本から切り離され、1972年の施政権返還までの27年間米軍占領下におかれ、民主主義の蹂躙、人権と平和と社会正義が無視されるという、苦難と忍従を強いられました。 今年は戦後72年を迎えますが、現在でも、日本国土面積の0.6%の沖縄に、在日米軍専用施設の70%が集中し、基地あるが故の事件事故に苦しめられています。 

名護市議会 2015-09-03 09月18日-09号

やはり沖縄戦を引き起こした原因は何かということもありますが、そこは置いといても、とにかく米軍占領下において、これはハーグ陸戦条約においても違反する、国際的に違反する米軍が強制的に占領地接収を行ったというのは、これは明らかに法的な違反でもありますが、そこを置いといても、やはりこの今の現在にある沖縄基地問題の原点は、やはりこの米軍による強制接収の問題があるということがあります。

那覇市議会 2015-07-08 平成 27年(2015年) 6月定例会-07月08日-08号

この一連の企ては、沖縄戦米軍占領下での圧政、過重な基地負担で、筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられてきた沖縄県民として、断じて容認することはできません。  安倍自公政権は、法案を平和安全法制と標榜しています。しかし、その内容は日本の国の平和とも、国民の安全とも、全く無縁なものです。

宮古島市議会 2015-07-08 07月08日-07号

戦後も米軍占領下で「銃剣とブルドーザー」によって、土地強制接収し拡張してきた基地である。百田氏の発言は、先祖伝来土地を強制的に接収された歴史的事実を歪め、地主の苦悩を顧みず、「六本木ヒルズに住んでいる、大金持ち」などという、事実無根の話を喧伝するなど、県民を愚弄することを断じて許すわけにはいかない。  

宮古島市議会 2014-12-12 12月12日-05号

ですから、5歳児が小学校に附属した形で幼稚園があるというのは、米軍占領下初めに導入されたアメリカ式幼児教育のあり方なんですよ。これが今新制度になって全部見直されて支援対象にされないというわけですから、それで今各市町村が大変な思いしてこれを受けとめて、どうしようかということで計画をそれぞれ立てていると思うんで、そうなった場合にいわゆる幼保連携型、あるいは子ども園構想ですね。

那覇市議会 2014-08-22 平成 26年(2014年) 8月臨時会-08月22日-01号

米軍占領下の1970年12月31日の大晦日、私が高校3年生の時、国頭村の山中で、米軍実弾射撃演習実施計画がありました。  私は、故郷安田区の住民と着弾地点である伊部岳に座り込み、のろしをあげました。  発射地点では、保守の国頭村長であった山川武夫さんを先頭に、多くの村民支援県民らが米軍と対峙し、米軍実弾射撃演習を阻止しました。  

那覇市議会 2012-09-14 平成 24年(2012年) 9月定例会-09月14日-06号

国頭村民は、あの米軍占領下米軍に勝利したこの闘いを大変誇りに思っています。伊部岳の入り口には、米軍実弾演習阻止闘争記念碑を建立しています。当時、私は高校3年生でしたが、父・古堅昇やシマの諸先輩方々とともに、早朝5時から伊部岳に登り、着弾地点のろしを上げ、決死の座り込みを行いました。  

嘉手納町議会 2012-06-12 06月12日-01号

新垣あらがき)勉さんは、米軍占領下沖縄読谷村で1952年、米兵の父と日本人の母の間に生まれる。出生後まもなく不慮事故全盲となる。1歳のときに両親が離婚し、父は米国帰国母親は再婚したため祖母に育てられる。その後、みずからの境遇を絶望し井戸へ飛び込み、自殺を図ろうとするが友人に助けられる。中学2年のときに祖母が死亡し、母の親類に育てられる。

嘉手納町議会 2012-06-12 06月12日-01号

新垣あらがき)勉さんは、米軍占領下沖縄読谷村で1952年、米兵の父と日本人の母の間に生まれる。出生後まもなく不慮事故全盲となる。1歳のときに両親が離婚し、父は米国帰国母親は再婚したため祖母に育てられる。その後、みずからの境遇を絶望し井戸へ飛び込み、自殺を図ろうとするが友人に助けられる。中学2年のときに祖母が死亡し、母の親類に育てられる。